今日は、難しいことを書くのはやめにしよう。
瞬間的に、かなり強い悲しみや憎しみが襲ってくることはあった。でも、「ああ、仕方ないんだな」と心の中で処理をつけ、あまり引きずらなくなったと思う。
本当は、そうした気持ちは起こらないのがベストだけど、最初よりはだいぶ良い感じ。頻度も少なくなったし、気持ちの処理も少しはできるようになった気がする。
今は毎日起こる苦しみや憎しみも、2日に1回、3日に1回、1週間に1回…と減っていくのだろうか?
そのあたりは、まだわからない。
ここからは、最近思ったことを書き出してお茶を濁して…。
一か月ほど前だろうか。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長だった森喜朗氏が、職を辞した。女性蔑視発言で。
その時の氏の記者会見で、どうやら記者から「老害」という言葉が出たらしい。「らしい」と書いたのは、私は人づてにそのことを聞いたからだ。
そのつての人は、御年70ほど。自身も「老」の世界に足を入れており、私に「老害」という発言に対する憎しみを、ぶちまけてきた。
「ずっと国のために頑張ってきた人に対して、老害とは何事か!日本もひどい国になったもんだ!」
だいたい、そのようなことを言っていた。
私としても、確かに、「老害」という言葉は良くないと思う。年配の方に限ったことではないが、苦労して頑張ってきた人に対する敬意というのは、あってしかるべきだと思う。
ただ、私は「老害」の真の意味は、「お前なんかいらない」だと思う。私に憎しみをぶちまけた人は、年配の方全般を邪魔者扱いする思想の意味にとらえているようだが、それは違うのではないか。
例えば、タモリさんを老害だと考える人が、どのくらいいるだろうか?蛭子能収さんを老害だと考える人が、どのくらいいるだろうか?吉永小百合さんは?ひふみんは?
つまるところ、「老害」は、言われる方にも原因があるんだろう。「老害」発言を憎むその人自身も、何かあればそれを言われておかしくない人だと、私は思ってしまった。
森喜朗氏は、過去にも失言で非難にさらされたことがあった。総理大臣にもなった人だが、確か支持率8%なんていうことも。
私の知らない実績や努力も、あったたんだと思う。でないと、総理大臣にも、先日職を辞した会長にも、なれるはずがないだろう。
ただ、周囲の反応みたいなものに対する学習能力が、全く無い。氏と間近で接したことのない私にとっての、ただの印象でしかないけれど。
傍若無人を極めた部分があるというのだろうか。正直、あれだと「お前なんかいらない」と言われても、不思議ではないと思う。
アダルトチルドレンとは何の関係もないし、人の振り見て我が振り直せということでもないけれど、印象に残ったことだったので書いてみた。今日はこれまで。