早大卒のアダルトチルドレン

ひとり、しなやかに、生きる。私は私。でも、自分の人生を取り戻すために。

「この良い子の母親は、私です。立派な親なんです」の結果は…

昨日夜、「明日テニスするんですけど、来ませんか」と連絡が来た。

 

久々に、今週は土日完全フリー。「行きます!」。

 

 

テニスは約5年ぶり。やはり私は体を動かすのが好きなんだと実感した。楽しかった。

 

そして明日は、野球が待っている。

 

今は、自分が好きだと思うことができる。それでいいのだ。

 

 

しかし、これが私の子どもの頃だったら、どうなるか。

 

例えば、私が「テニスをやりたい。クラブに入りたい」と言ったとする。

 

そしてまた、テニスは母親の気に入らないものだったとする。

 

「テニスなんかやってる男の子いないじゃないの。それに、サッカーの方がかっこいいと思わないの?モテるわよ」みたいに、すぐさま私の希望を否定して、やめさせようとしたであろう。

 

テニスは例だが、万事こんな感じだったのだ。

 

私がやりたいことも、母親は気に食わなければ、即否定。

 

そして私が好きだったり、やりたいことのほとんどは、母親の気に食わないものだった。私は否定ばかりされて、自分のしたいことや希望を言わない子どもになっていった。

 

幸い、少年野球だけは、母親がああだこうだ言う前に父親に連れられて、チームに入った。ただ、後になって、「やらせなきゃよかった」と母親が思っていたことは、それとなく聞いた。

 

もちろん、テニスでも野球でも、子どもがやるならば親に多少の負担はかかる。でも、私の野球の場合、膨大なお金がかかるとか、親は必ず毎週手伝いに来てくださいということでもなかった。親同士は大人の関係で、仕事を中心にそれぞれ事情があるから、手伝いの程度などは強いていなかっただろう。

 

ところが母親は、この大人の関係を嫌がる。基本、「みんなの親に気を使わなきゃいけないわね。嫌だわ」という考え。

 

何がそんなに嫌なのか。協力できる時だけ、気持ちよく協力すればいいではないか。仕事でもないし、強制されているわけでもないんだから。

 

もちろん、大人であろうと苦手だったり、合わない人というのはいるであろう。今の私にだって、そういうタイプの人はいる。

 

(母親は実際、監督の奥さんが嫌いだったようだ。ただ、当時のその人を今の私から見て、そんなに嫌うような人には思えない)

 

でも母親は、相手が苦手とか合わないとか以前の話なのだ。自分と同じ大人を前にして、自信がなさすぎる。

 

そこで、私に「良い子」を強いたのだろう。

 

「この良い子の母親は、私です。立派な親なんです」

 

そんな風に誇って、自信にしたかったのはハッキリわかる。

 

でも結果は…私は母親の理想とする子どもにはならなかった。母親には自信がつかなかった。私は、アダルトチルドレンになった。生きづらさを感じるようになった。

 

 

話は戻り、一回数百円のテニスというささいなことだけど、今日はやりたいことができて良かった。明日も野球ができる。これでいい。

 

今日の最後に。最終的に少年野球を最後までやらせてくれたことには、親に感謝の気持ちはある。でも、嫌々やらせていたんだろうから、何とも言えない心のしこりはある。