早大卒のアダルトチルドレン

ひとり、しなやかに、生きる。私は私。でも、自分の人生を取り戻すために。

アダルトチルドレン克服の頭打ち状態か?

だんだん、親への怒りや憎しみは感じなくなってきたように思う。

 

だが、完全に感じなくなったところで、アダルトチルドレンの克服は終わりではない。

 

真の克服は、私が、私の心で生きること。自分に正直に、素直に行動して表現できるようになった時こそだ。

 

それは、まだまだ先のことのように思う。この先が、本当に難しいフェーズなんじゃないかと。

 

かれこれ30年近く、違和感や生きづらさを感じてきた。そういう行動や表現しかできなかった。

 

そういう習性を、今これから手放すことは可能なのか?

 

そこは、きっとできると強く信じる。しかしまだ、そのためのヒントは見えない。

 

日々の行動で、ちょっとずつこれまでの習性を打開した行動を取り、振り返ってみて、気づいてみて、次に生かす。

 

仕事でいうと、PDCAか。これを地道に、繰り返すほかない気もする。

 

あまりPDCAなる考えは、好きではない。しかし、一気呵成に克服できるものでもないだろう。なにせ30年のアダルトチルドレンだ。

 

今日、仕事はなんの実りもなかったけれど、ちょっと嬉しいことはあった。相手のあることだし、それを今日は書かないけれども。

 

ただ、そうした嬉しいことから起こる、今後の出来事も、私のアダルトチルドレン克服の貴重な糧となるだろう。

 

逆に悲しい出来事でも、貴重な糧となりそうだ。そんな気がする。

 

というより、そもそも「嬉しい」「悲しい」といった自分の感情。これを自分自身でハッキリと、自分の感情なんだと感じられること自体が、アダルトチルドレン克服に向けての成長なんだろう。きっと。

 

そう。私は成長している。アダルトチルドレンの克服に向けて。

 

今日は、とりとめのない文章を書いてしまった。やっぱりこの先のヒントが今一つ見えないから、一度頭打ち状態になっているのかもしれない。

 

とはいえ、今はそれで良しとしよう。ただ、まだアダルトチルドレンであることだけは、忘れるな。自分よ。