早大卒のアダルトチルドレン

ひとり、しなやかに、生きる。私は私。でも、自分の人生を取り戻すために。

母親との関係も、一人の人と人の関係

また2日、ブログを書く間が空いてしまった。

 

ただ、その間に…かなり悶々とすることが多かった気もする。やっぱり書くことで、考えが整理されて気持ちが落ち着くのかしらん?なるだけ、毎日書き続けよう。

 

とはいえ、もうアダルトチルドレンについての新しい発見や気づきなどは、少なくなってきている。自分のアダルトチルドレンの原因や機能不全家族の問題などはだいたいわかったから、あとはどう普通の大人に戻るかという段階だけど、なかなか前進しない。膠着状態なのだ(このことは前回も書いたけど)。

 

 

そんな状態の私が、悶々としていたこと。それは、「母親の考えていることがわからない」であった。

 

「なぜそんな、夢をぶち壊すようなことを平気で言う?」

「なぜ子どもの私の方ができたことがあると、すぐムキになる?」

「なぜ私との約束を覚えていたのに、勝手に自分の都合いいようにする?」

 

もちろんこれらの疑問は基本的に、私の子どもの頃の母親を思い出してのことだ。

 

しかし、30年近く経とうとしている今でも、母親は変わっていない。それは、私が去年、3ヵ月ほど実家に居候していた時に、うんざりするほどよくわかったことである。

 

 

言うなれば、アダルトチルドレンの私を築き上げた家族の問題を、さらにミクロな部分にまで突っ込むとぶち当たる母親個人の問題が、私にはまったく理解できないのであった。

 

今の私は、当時の母親より年齢的に上だ。そして私も、離婚して親権はないが、自分の子どもの存在はある。短いながら、子育てもした。

 

そんな今の私からしても、全く理解できないのである。

 

夢を持つのはいいことだし、その実現のために努力することを覚えさせればいいではないか。

→母親は、いとも簡単に「諦めなさい」に持っていく人であった

 

子どもの私にムキになる意味は、全く分からない。子どもの方が詳しい物事があれば、「すごいね、よく知ってるね」と言ってあげればいいではないか。

→母親は、私の方が詳しいことがあっても認めようとせず、「偉そうにすんじゃないよ」みたいな態度になった

 

子どもであっても約束は約束だ。守れない事情があったなら、それはきちんと説明すべきである。

→母親は、「私はこっちの方がいいと思ったから」みたいな、「約束を守れない」説明になってない説明をした

 

 

こうした、理解できなさすぎることからくる悶々も、「でも、母親はもう近くにいないし関わらなくてもいいんだし」みたいなところに、結局は落ち着く。

 

ただ、考えてしまうのは、もし何かの機会に私が母親と一緒にいる機会があったら、どうなるかということだ。

 

べつに理解できない人でも、全く正反対の考え方をする人でも、自分に害がなければまあよいだろう。しかし、私は母親がいつもやるような言動を受けてしまうと、イライラする。キレることも十分ありうる。

 

結論を言ってしまえば、お互い不愉快になる結果に終わるだけだから、母親と会う機会は私が避けるしかないわけだが。

 

 

私は私の考えで、行動してよいのだ。母親との関係も、一人の人と人の関係。他人にとやかく言われることではないし、会ったとして我慢していると、私が苦しい思いをしてしまうだろう。